昭和2年(1927年)創業から、まもなく100年を迎える株式会社与太呂。5代目として経営を担ってきた高畠啓さんは、2024年12月に事業承継の手段としてM&Aを実施した。歴史ある企業のバトンを外部に託すという決断に至るまでの背景とは。その葛藤と想いについて伺った。
本日は高畠さんにお越しいただきました。どうぞよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
まず、高畠さんについてと、譲渡まで経営されていた会社について教えてください。
現在52歳です。大阪と神戸で鯛めしと天ぷらの専門店を4店舗経営していました。
創業はいつ頃で、何代目にあたるのでしょうか?
創業は昭和2年(1927年)、今年で98年になります。私は5代目です。
大変歴史のある会社ですね。日本は、世界有数の長寿企業大国で、創業100年以上の企業のうち、約50%が日本企業だそうです。*与太呂さんも、まもなくその仲間入りを果たされるわけですね。「与太呂社」の成り立ちについて教えていただけますか?
(*日経BPコンサルティング・周年事業ラボによる2022年調査)
小豆島出身の曽祖父が大阪に出て、和食料理店を始めたと聞いています。早い段階から鯛飯と天ぷらを看板料理としていて、徐々に専門店へと確立していったそうです。
与太呂の名づけ親もその方ですか?
…と聞いております(笑)。
100年近く続くと、代を重ねるなかで、詳しいことが分からなくなりますよね。
ええ、伝え聞いているとしか…(笑)。
ところで、高畠さんご自身は、与太郎社に合流される前は、何をされていたのですか?
コクヨでオフィス家具の法人営業をしておりました。
まったく異なる業界にいらっしゃったのですね。そういった分野から、会社に合流し、経営者になられた経緯について伺ってもよろしいでしょうか。
与太呂は父とその兄弟3人で経営していました。父は三男で継ぐ予定ではなかったのですが、いろいろあって父が代表を務めることになりまして。私が社会人2年目のときに「戻ってこないか」と連絡があり、私はもう1年だけコクヨで働きたいと伝えて、3年間勤めた後、与太呂に戻りました。
業歴の長い会社では、幼い頃から「いつか継ぐのだろう」と意識していたり、そういった教育を受けたりする方も多いですが、高畠さんはそうした認識は全くなく、「呼ばれて」合流されたのですね。
本当に急な話でした。「継げ」とか「稼業に入れ」と言われたことは一度もありません。就職の際も「自由にして良い」と言われて、コクヨを選びました。
結果的に会社に合流されて、経営者になられたわけですが、大阪で愛され、知名度の高い与太呂社という歴史のある業態を継ぐことへのプレッシャーや、心境はいかがでしたか?
戻ったその日から、店長を任されまして。
コクヨの法人営業から、いきなり店長に…?
はい。初日から何も分からないまま、店長に就任しました。ちょうどバブル経済が崩壊した頃で、経済環境も悪く、業績も厳しい状況でした。何よりも、まず業務を覚えなければならず、正直、「歴史の重み」などを感じる余裕はなく、巻き込まれていったというのが正直なところです。
そうしたご経験を経て、経営者になり、会社を成長させてこられたわけですが、経営者としては具体的にどのようなことに取り組んでこられたのですか?
店長として7年ほど勤めた後、他の2店舗のマネジメントにも携わるようになりました。その後は、新規出店を進めていきました。
主に商業施設の中で出店し、施設側からお声がけをいただけるような業態づくりをしながら、評価を得る努力をされてきたのですね。
高畠さんは、出店を重ねて会社を成長させ、代表取締役に就任。そして、2024年12月に、姫路を拠点にする上場企業「神姫フードサービス」へ株式を譲渡されました。譲渡されるまで、経営者としてはどれくらいの期間、務められたのですか?
どこからが「経営者」と言えるかは難しいですが、現場を離れてから10年ちょっとになります。
与太呂さんのように、親族で代々受け継いできた会社の経営者は、受け継いでいるものが大きいので、「自分も同じように受け継いでいかなければならない」と考える方が、比較的多いように思います。一方で高畠さんは、親族ではなく第三者承継という判断をされました。そのお考えに至ったのはなぜでしょうか。
理由は2つあります。1つ目はコロナの影響です。そして2つ目は、自分が50歳を超えたということ。この2つが大きなきっかけになりました。
コロナのときは、会社の業績への影響もあって、将来についていろいろと考えるようになった、ということでしょうか?
そうですね。コロナそのものの影響もありましたし、こういう事態が再び起きる可能性もあるというリスクを感じるようになりました。
50代はまだまだ若い印象ですけれども。
それは自分でもわかっているのですが、自分が元気なうちに、きちんと自分以外の人にバトンタッチしたいという想いがありました。自分自身にとっても、会社にとっても、良い状態のときに承継したかったのです。
高畠さんはコクヨにいらっしゃって、「呼び戻された側」だと思うのですが、お子様へ承継する選択肢はありませんでしたか?
娘が3人いますので、最初にその可能性を考えました。ただ、長女と次女はすでに自分の進路がある程度決まっていて、承継できるかもしれないけれど、確実性がなく、三女はまだ10歳。年齢的に間に合わないと判断し、親族承継は選択肢から外しました。
お話を伺っていると、親族承継よりも「与太呂という会社が今後も存続し、発展していくこと」を重要視されたのかなと。その目的を考えたときに、「第三者への承継の方が望ましいのでは」と、M&Aの決断に至ったのですね。当然ながら、M&Aのお話は、どこかのタイミングでご親族、例えば先代であるお父様などに伝えられたと思いますが、それはいつ頃だったのでしょうか?
10月の初めです。12月に譲渡をしましたので、2カ月をちょっと切るくらいのタイミングでした。
M&Aの成立がほぼ見えてきた段階ですね?
見通しが立ったタイミングで、初めて伝えました。
そのときの反応はいかがでしたか?
正直なところ、好意的に受け止めるまでには至らなかったと思います。父と母、そして妹の3人に伝えましたが、3人とも少しショックを受けた様子でした。「もう少し頑張れないのか」とか、「娘たちに継がせることはできないのか」といった話も、そのときに出ました。
よくあるケースだと思います。そもそもM&Aが一般的な選択肢として広まり始めたのは、ここ10年くらいの話。昔から経営されてきた方にとっては、なじみにくく、誤解が生じている部分もあるかもしれません。理解してもらうには、もう少し時間が必要かもしれませんね。
そうですね。
でも、将来的に承継先の会社が与太呂さんをしっかり発展させていく姿を見せることで、「ああ、そういう決断だったのか」と理解してもらえる日が来るんじゃないかと思います。
はい、私もそう願っています!
私も同じようなご相談をよく受けるんです。特に2代目、3代目として事業を引き継いでこられた方は、非常に悩まれていますね。今でこそ、M&Aという選択肢について皆さん理解されていますが、それを「自分が選んでもいいものか」で迷ってしまうケースが多いんです。そうした方々に対して、高畠さんから何かアドバイスできることや、ご自身がどう考えて決断されたのかなど、参考になるお話をいただけますか?
まず「家族への承継」と「M&Aでの承継」は、同じような選択肢として一度フラットに並べて考えてみることが大切だと思います。そのうえで、やはり家族にどうしても継いでもらいたいという想いがあるなら、そちらを選ぶべきでしょう。私の場合は、「引き継いだ会社が今後どうすれば発展していけるか」という視点で考えた結果、M&Aという選択肢がベストだと判断しました。
つまり、何を目的とするかが大事だということですね。
そう思います。最終的には「自分が本当に何を大切にしたいのか」を突き詰めて考えるしかないと思います。
たとえ親族に承継できたとしても、その結果、会社がうまくいかなくなり、従業員さんたちの環境まで悪くなってしまったら本末転倒ですよね。だからこそ、必ずしも親族承継を優先するのではなく、会社の将来や従業員の幸せといった目的を考えたときに、必然的にM&Aという選択肢も浮かんでくる。あとは、それを選ぶかどうかだけですね。
そこは決断ですね。
いざM&Aの話が動き出したとき、どんな会社に引き継いでもらいたいとお考えでしたか?選ぶ際のポイントや、イメージされていたことがあれば教えてください。
一番に求めたのは、財務力や組織力など、以前の与太呂にはなかった部分を補ってくれる、強化してくれる会社でした。
安心して任せられる会社を、ということですね。たくさんの会社さんとお会いされたと思いますが、選ばれる際に重視されたポイントはありましたか?
やはり社風、その会社が持っている「空気感」が与太呂と合っているかです。与太呂は飲食業の中では比較的落ち着いた、控えめな社風なので、そういった雰囲気と合う会社に引き継いでもらいたいと考えていました。
やはり、そういうのは大事ですよね。イケイケどんどんで、毎年何十店舗も出店していくような会社よりも、落ち着いて着実にやっている会社の方が合うなと。
そうですね。そこは重視しました。
M&Aのご相談をお受けしていた際に、社員さんたちが辞めてしまうのではと心配されていたのをよく覚えています。会社の将来を思って決断されていたわけですから、もし辞めてしまったら元も子もないと。実際、譲渡から4〜5カ月ほど経ちましたが、その点いかがですか?
結果的には、ほとんど退職者も出ず、杞憂に終わりました。譲渡前から退職を希望していた社員はいましたが、店長や料理長などの主要メンバーは全員残っています。現時点では、あまり心配する必要はなかったのかなと思っています。
なぜうまくいったと思われますか?当初の想定では辞めてしまうかもしれないという不安があった中で、実際にはほとんど辞めなかった。その違いはどこにあったのでしょうか。
環境が変わることで退職者が増えるのではないかと心配していたのですが、買い手企業が、これまでのやり方をとても尊重してくれたんです。急激な改革や強引なマネジメントもなかったので、社員たちも大きな変化と感じず、受け入れられたのだと思います。とてもありがたく思っています。
従業員の皆さんも、最初は不安だったと思いますが、今では好意的に受け止めていらっしゃるようですね。
今でも時々会いますが、そういった心配の声はほとんど聞かれませんし、「今まで通り頑張っています」という声が多いです。
それは何よりです!ところで、実際にM&Aを経験されてみて、事前に準備しておけばよかったと感じたことはありますか?また、相談相手の選び方など、終わってみて気づいたことや反省点があれば、教えていただけますか?
一番大事なのは、「本当に信頼できる専門家に出会えるか」だと思います。そこさえクリアできれば、他の問題はすべて対応可能だと思います。納得できる相手を見つけるまで探すべきだと思います。
でも、その「信頼できる人」をどう探せばいいかが難しいんですよね。
私も「信頼できる人を探してください」とよく言うのですが、どうやって?って思いますよ。我々の出会いも偶然でしたね(笑)。
そうですね。
実際にM&Aを経験されて、高畠さんにとってM&Aを一言で表すと、どんな言葉になりますか?
「有意義なもの」だと思います。会社や事業にとっても、自分自身にとっても、将来のさまざまな選択肢や可能性を広げてくれるものでした。
私たちは、M&Aには「売る人」「買う人」「売られる会社」の3人の主役がいて、三者すべてが「結果的に良かったね」と思えることが、最も大切だと考えています。その意味で、まさに今の「有意義」という言葉にすべて集約されているように感じます。本当に良い形になって何よりです。
では最後に、譲渡後のお話をお伺いします。譲渡後も少しの間、与太呂社に関わっていらっしゃるそうですが、どのくらいの期間、どのように関与されているのですか?
1年間、「顧問」という立場で関わっています。主には、新規出店のオファーをいただいた際に、商談に同席するような形です。
元経営者として、ご自身が担当されていた業務もあったかと思いますが、それらはどのタイミングで引き継がれたのでしょうか?
譲渡後、最初の2カ月半ほどは、経理なども含めて関与していましたが、その後はほぼすべてを買い手にお任せしました。
現在は、引き継ぎというよりも、顧問として会社を外から支援する立場ということですね。譲渡が12月20日でしたので、ちょうど4カ月ほど経ちました。今のご心境はいかがですか?
肩の荷が下りて軽くなったという印象があります。当初は「少しゆっくりしよう」と思っていたのですが、実際にはまったくゆっくりする間もなくて(笑)。むしろ肩の荷が下りたことで、「これから新しいことに挑戦したい」という前向きな気持ちに変わってきました。
すべてを譲渡されたわけではなく、一部の事業は今も残されていますから、経営者としての立場もまだ続いているわけですね。
まだ一社は残っています。
その会社を続けながら、少し時間にも余裕ができた中で、何か新しい取り組みなども考えていらっしゃるんですか?
最後の10年ほどはマネジメントに専念していて、自分自身がプレーヤーとして現場に立つことはありませんでした。でも今後は、自分のこれまでの経験や人とのつながりを活かして、プレーヤーとして仕事に関わっていけたらと思っています。
ご年齢的にもまだお若いですし、今後やっていきたいことについて、具体的に何かお考えはありますか?先ほど「プレーヤーとして」というお話もありましたが、何か新しい事業などを考えていらっしゃいますか?
飲食店の開業支援のようなサポート事業はやってみたいと思っています。それに加えて、その周辺領域の事業や、まったく別の分野の店舗ビジネスにも取り組んでみたいと考えています。
本日は貴重なお話をありがとうございました。今後のご活躍を楽しみにしております。
(左から)弊社中原、高畠様
取材日:2025/4/25